日本の排他的経済水域を守った男
百田尚樹著の「日本国紀」の中で「水野忠徳(ただのり)」と言う人物をはじめて知りました。
幕末の列強が日本に来て騒がしい時代に、小笠原諸島を日本の領土として列強に認めさせ、日本の3分の1に当たる小笠原諸島付近の排他的経済水域を守った方です。
当時の日本の江戸幕府は小笠原諸島の存在と位置は把握していたが、江戸から1000km離れているため管理できず、無人島になっていました。
幕末の時代の小笠原諸島には列強の捕鯨船のたびたび寄港するようになり、1830年にはアメリカ人5人とハワイ系20人ほどが入植し、ペリーがそのアメリカ住人の一人を小笠原諸島の植民地代表に任命しています。
また、イギリス、ロシア、フランスも領土権を主張、当然アメリカも領土権を主張する事態になり、それを解決するために、水野忠徳が咸臨丸で小笠原諸島に上陸しました。
入植したアメリカ人には彼らの保護を約束して日本の領土であることを認めさせ、イギリス、フランス、ロシアの間は列強同士の対立をうまく利用しながら、小笠原諸島が日本の領土であることを認めさせました。
このときの交渉の通訳があの有名なジョン万次郎でした。
日本の現在世界第6位の海洋国家ですが、その大部分は排他的経済水域です。その3分の1が小笠原諸島を中心とする海です。
当時の水野忠徳らが列強から領土を守ることの大切さを知っていたからこそ小笠原諸島を中心とする排他的経済水域が日本の領土・領海になっています。もし水野忠徳やジョン万次郎がいなかったら小笠原諸島は列強の領土になっていた可能性もあります。
水野忠徳は長崎奉行時代に幕府海軍創設に奔走したり、外国奉行のときは金貨の海外流出を防ごうとしたりするなど、日本の国益を守ろうとした人物です。幕末・明治維新には立派な方々がいろいろなところで活躍していたことを誇りに思います。
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