北方領土をソ連に与えたヤルタ協定

 1945年、クリミア半島のヤルタで行われた第2次世界大戦後の世界の体制の方向を決めた会談です。参加者は米国のルーズベルト、英国のチャーチル、旧ソ連のスターリンの三巨頭で2月4日~2月11日まで開催され、国際レジーム(世界秩序の体制)が規定されました。 主な課題はポーランド問題とドイツの占領下領土問題などです。


 1939年ドイツとソ連はともにポーランドに侵攻し、西半分及び東半分をそれぞれ分割占領していましたが、1941年、ドイツは独ソ不可侵条約を破りポーランド東部に侵攻、全域を占領しています。英国にはポーランド亡命政府も存在していて、英国は社会主義が広がることを懸念していました。これを米国の仲裁でポーランド自国の総選挙で決めることになりました。しかしソ連は約束を守らず、亡命政府の指導者を逮捕して社会主義化してしまいます。


 ドイツ問題としてドイツを東と西にわけ、東ドイツをソ連を初めとする社会主義国が管理し、西ドイツを米国・英国を初めとする自由主義国が管理するようになりました。


 それ以外に極東密約(ヤルタ協定)がありました。それは日本の降伏にはソ連の参戦が必要として、そのためには日ソ中立条約をソ連に一方的に破らせ、ドイツの敗戦後にソ連の対日参戦を約束させました。その代わりに、満州国の権益や樺太の返還のほか、日本の北方領土の領有の正当化を与えました。この時の米国のルーズベルト大統領はこの協定をアメリカ議会の承認なしに独断で行っています。


 特に問題なのが社会主義国のソ連のスターリンと手を結んだことです。第二次世界大戦を「民主主義国家対ファシズム国家」の戦いといわれていますが、当時ソ連は明らかにファシズム・全体主義国家でした。


 更に、ルーズベルトが提唱していた国際連合案にスターリンが同意するために、ポーランド初め東欧・バルト三国をソ連の勢力圏と認めることも含まれていました。戦勝国アメリカのルーズベルトはソ連の独裁者スターリンを戦後体制を作る時の最善のパートナーとしました。その後冷戦が本格化していきます。


 アイゼンハワー大統領は1956年に「ヤルタ協定はアメリカ連邦政府の公式文書ではなく、ルーズベルトの個人文書であり、無効である」ことを公式声明しています。



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